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閑谷学校と備前焼の里

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新幹線の岡山駅からローカル線に乗り換えて、備前焼の里である伊部へ向かう。車窓からは初夏の日差しが差し込み首筋が汗ばむ。のどかな田園風景を眺めながら一時間程して、閑散とした小さな駅舎で降車した。目的は備前焼ではなく、その先の山間に現存する閑谷(しずたに)学校を見ることだった。

町中から山道を進むこと約2里。江戸時代から戦前近くまで続いた庶民のための学校は、自然と融合した建築美が評価され、国宝に指定されている。当初の藩主、池田光政の情熱に答えるべく、学校奉行、津田永忠が三十余年をかけて完成させたという。人里離れた山間の、しかも美しい自然に囲まれた平地が、教育の現場に最も相応しいと考えた当時の賢人の想念は、建築にも宿ることになった。

その建築群の中でひときわ目を引く石塀は、厚さが1メートル以上もあろうかと思われる堅固な建造物で、上部が丸いのが特徴的である。この重厚な石積みが延々と続き、周囲の自然の中から、学校の領域を切り取っている。建物は寺社建築に近いが、強い精神性を感じる。漆喰の白い壁と、地元の備前焼の瓦が周囲の深い緑に映えて、凛とした空気を漂わせていた。

帰路の列車は1時間に1本しかない。時間を気にしながら伊部の街並みに沿って、備前焼の窯元の店先をひとつひとつ覗いてみる。どの店にも茶褐色の器が所狭しと並んでいたが、今ひとつ過去の威光を超えられない空気が漂うのが惜しまれる。小西陶古でビアグラスと小さな蟹がくっついたグイ呑みを買った。蟹は決して後ろに下がらないので縁起が良く、よく売れると言う。私(可児)もそうありたいものだ。

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