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大地が描いたアート作品

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「これは、自分の進むべき方向と違う」そう確信した一人の青二才は、七百余名の社員数を抱える中堅企業の常務取締役の肩書を投げ捨てて、翌週にはスペインはバルセロナの街中にいた。新たな道を模索する前に、英国ケンブリッジに短期留学した時の友人たちに無性に会いたかった。

昔話に花を咲かせ、ガウディの建築群を再訪して、ピカソ美術館を堪能する。ミロにダリ、尽きない魅力にあふれた街だった。その時の私には、先は見えなくても、夢と希望に満ちた青春がまだ残っていた。そんな折、偶然見つけた真新しい建物。水平が強調された端正な形は、どこかで見覚えがある。ル・コルビジェ、フランク・ロイド・ライトに並ぶ二十世紀の建築家の巨匠、ミース・ファンデルローエの作品だった。

1926年のバルセロナ万国博覧会のパビリオン(仮設建物)として建てられたものが、60年ぶりに復元されていた。建物にこれといって用途はないが、空間構成が斬新で惹きつけられた。「やっぱりこの世界で生きていこう」この時の旅の目的が達成された瞬間だった。

「なんじゃこりゃ」
建物の真ん中に位置する赤くて派手な大理石の壁。全体的に抑えた色調の中で、ひときわ目立つショッキングな存在は、今でも私の脳裏から離れない。

あれから建築家を目指した日々が続き、節目の30年。久々の公共施設の設計で、正面玄関の壁面を飾る大理石に、このバルカンオニキスを選んだ。希少価値があり超高価な石材だが、今回はアート的に使用するので面積は比較的少量で済む。スペイン、シンガボール、中国の倉庫とメール交換して、ふさわしい絵柄の石材を探すが不発。「まさか国内には無いよね」

諦めかけていた頃、黒田さんから吉報が届いた。国内最大手の関ケ原石材の倉庫に少量眠っているという。氏はこの会社の元営業部長。「先生、ちょうど4枚だけありますがな。お気に召すかどうか」

「諦めずに努力を続けていると、ある日、神様が贈り物をくれる」北京五輪のリレーでメダルを取った朝原選手の言葉だが、大袈裟に言えばそんな感じ。自分の人生行路、なかなか思い通りには進めないが、時折、こんな出来事があると、まんざら間違った方向でもなかったような気がしている。

もうすぐ福祉施設のメイン通路の壁一面に、大地が描いた絵が貼り付けられる。ここに暮らす若者たちに、あの時の私の驚きに似た感動を共有してもらえたら、それは間違いなく建築家名利に尽きる。

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