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メールマガジン 「建築家の自邸、満足と反省の物語 NO.31」
2002/9/17(不定期発行)
第4章 建築構法の選択
4.工事開始(3)
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□ ご購読感謝
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みなさま、こんにちは。はじめまして。
ご購読いただきまして誠にありがとうございます。
このメールマガジンは、これから家を建てる方のために、建築家の私が自邸
を建てたときのエピソードを物語風にアレンジしたものです。
少しでもみなさまの参考になれば幸いです。
先日、読者の方より、メルマガを保存する際、タイトルが同じなので号数と
サブタイトルを入れて欲しいとの要望がありました。真剣に読んで下さる方
がいると思うと大変励みになりました。どうぞ、なんなりとご意見をお寄せ
ください。
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■ 4.工事開始(3)
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建築工事は、直接各分野の職人達に工事を依頼する直営方式を取ることにし
た。通常の工事のように、どこかの工務店に一括して工事を委託すれば、当然
のこと経費がかかる。その分をカットして材料費にまわすことにした。設計事
務所が工務店を兼ねるわけだ。早速職人選びに取り掛かる。判断基準は、やは
り人柄だ。腕が良いのは当たり前。これまでいくつもの建築工事に関わってき
たので、工事会社の担当者や職人の名刺はかるく千枚は超えている。
何年ぶりかの名刺を見ながら、一人一人の顔を思い出し、あの頃の出来事を
回想してみる。もちろん半数近くの名刺からは顔が浮かんでこない。ふと思っ
た。「この中で何人が私の葬儀に足を運んでくれるのだろう。」近いうちに参
列して欲しい人の名刺に丸印をつけておこうと思ったが、本当に心を許せる人
はそう多くはいないに違いない。
最近、仕事は人だとつくづく思う。ここ数年、依頼されるプロジェクトで参
加するかしないか迷った時は「どんな人が関係しているか」で判断することに
している。特に建築設計を担当する場合、施主と設計士、それに工事会社など
の参加した皆が様々な問題を解決しながら、ともかく最後に喜んで気持ちよく
解散できることが肝要だ。後味の悪い仕事はもうたくさん。勿論バブルの頃に
多かった儲け話にも、最近は耳を貸さなくなってきた。
具体的に職人達の人選に入る。木造である限り、工事の主力は勿論大工であ
る。この規模になると、毎日4名から6名は常駐となる。その中でも中心人物
は、SE構法の研修も終了した清水棟梁に決めた。もう60の声を聞いているが
腕も人柄も申し分ない。ここ5、6年の付き合いだが、常に私の立場で仕事を
進めてくれるのが信頼に足りる要因だ。私が現場に出向くと最初に必ずノート
に記した質疑があり、その後も私の「もういいですよ。」の声を聞くまで一切
仕事はしない。
大工は通常坪いくらで請け負っている。黙々と仕事をこなし、一日も早くこ
の現場を終えたいと思うのが人情だ。現場は時間との戦いなのだ。その意味で
はこの清水棟梁には頭が下がる。現場での変更が多い私のやり方を見抜いてい
るのだろうか。私の一言一言を聞き漏らさないで、やり直しを極力少なくする
意図もあるのかもしれないが、ともあれ、私としては絶対の信頼をおいている。
やや高齢なのが惜しい。
もうひとりの大工は、遠路40キロ離れた八王子市在住の土屋棟梁を選んだ。
会うのは私の結婚式以来十年ぶりになる。この大工は私よりわずかに年上だが、
私が社会に出て最初に出会った大工である。はっきりとものを言う人で、当時
は少し怖い印象があった。しかし、同じ工務店にいた7、8名の大工仲間の中
では、この駆け出しの私にも分かるほど出色で、勘がよく腕も良かった。その
頃から自分の家を建てることがあればこの人だと決めていた。
大学を卒業して勤めた会社で、ようやく設計を任された頃、私はある雑誌に
掲載された出窓の写真を見て、いたく感銘し、そのまま設計図に書いた。と言
うより窓の印を書いておいて、その横に「出窓とする」と書き記しただけだっ
た。ガラスとガラスが垂直に交わる斬新な形態で、写真を見た施主も大感激。
ところが案の定、その現場が土屋棟梁の担当となった。現場監理に出向いた私
は突然この出窓の支え方を聞かれて困った。杉とヒノキの区別もつかない当時
の私に指示など出来るわけがない。「大学出はこれだから困る。ちゃんと勉強
してから図面に書いてくれよな。」土屋さんは諭すように言った。
悔しかった。この日から私は、理論より実践と頭を切り替えた。確か上司や
先輩の設計士に相談したのだと思う。出窓の仕組みを理解し、やっと図面らし
きものを書き上げて現場に届けた時は、既に出窓はあの写真どおりに出来てい
た。「ちょっと手間取ったけれど、これでよかんべ。(八王子あたりの方言)」
さらに造作材はヒバだと聞いた。白木の光沢が美しかった。その後、いっしょ
に仕事をする機会は少なかったが、よきライバルとして、また建築の師匠とし
て常に頭の片隅に彼は居た。あれからもう25年が経っていた。
次に基礎を担当する鳶職人を選ぶ。多少迷ったが、清水棟梁が所属する工務
店で古くからの付き合いのある人物に決めた。基礎工事の他に、工事を始める
際の様々な準備や本来の仕事である上棟時の高所での働き、さらに足場組みな
ど常に大工工事と密接な連携が要求されるからだ。気の合う者同士でなくては、
事故にもつながり易い。
解体工事が終わって、いよいよ地鎮祭の時期となった。普段は友引でも仏滅
でもいっこうに構わないと豪語してはばからない私が、いざ自分の番となると
「やっぱり大安にするか」とカレンダーを探すのを見て妻が笑う。地鎮祭は、
その地域の神社に頼むのが一般的だ。この近くのどこに神社があるのか探すこ
とにしたが、そういえば息子の通っている幼稚園の園長さんが神主だ。早速打
診してみたところ、快く引き受けていただいた。
テント代を節約したので前日より天候が心配だったが、地鎮祭の当日は良く
晴れた。ただし、祝い事の儀式は午前中と決まっているようで、午前11時に開
始とした。私達のほかに清水棟梁と鳶の頭(カシラ)、それに双方の両親が同
席し神主の「それでは」の掛け声で地鎮祭の儀式が始まった。仕事柄、地鎮祭
は慣れたものだが、やはり自分が施主と思うと勝手が違う。これまでの出来事
が思い出されて感極まる。祝詞奏上のところでは、何かこみ上げて来るものも
あった。
神主が施主と施工者を告げるクライマックスにさしかかった、とその時。大
事件が発生した。突然ケンカの罵声に似た異常に大きな叫び声がこだましたの
だ。しかもその後もどんどん続く。祝詞奏上の声はかき消され、神主が何を読
み上げているのかまったく分からない。私にも何が起こったのか判断がつかな
かった。一瞬、一同がパニック状態に陥った。しかもその音は、祭壇の真後ろ
の方角から聞こえてくるではないか。まさか神様が・・・。
(つづく)
