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メールマガジン 「建築家の自邸、満足と反省の物語 NO.84」
2008/6/1(不定期発行)
第11章 各エリアの考察
4.玄関と庭(2)
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□ ご購読感謝
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ご購読いただきまして誠にありがとうございます。
分譲マンション(クウェストスクエア代沢)の事業もほぼ終結し、新たな
プロジェクトの企画に入っています。多くの反響をいただいた独身女性向き
のマンションも手掛けてみたいし、中庭を取り込んだタウンハウスにも興味
があります。さて次はどんな敷地が手に入るのか、乞うご期待。
一方、これまでお引渡しした住宅は既に50棟を超え、10年以上経過したも
のだけでも18棟になりました。現在その一軒一軒を廻って点検をしています。
当然不具合も見つかりますし、その度に「冒険をしなければよかった。」と
反省することも。でもそのひとつひとつを補修していくことでノウハウが蓄
積できるのだと気を取り直して邁進します。
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■ 4.玄関と庭(2)
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私が生まれ育った藁葺き屋根の家の玄関は、重い木製の引き戸だった。カン
ヌキが付いていたかもしれないし、時代劇に出てくるように中からつっかい棒
を立てかけていたのかもしれないが、その頃、多分金属製の鍵はなかったよう
に思う。
周りはほとんどが農家で、多分どの家にも金目のものなどなかっただろうから、
無用心との意識も薄かったに違いない。その家の庭からは満天の星に、天の川
がはっきり見えていた。夜は一歩先も見えないくらい暗かった。それでもたっ
た一度だけ泥棒が入り「おひつのご飯の残りを食べていった。」と母親から聞
いたことがある。
小学四年生の頃、転校して街中の新しい家に移ってからは、ガラス格子の引
違い戸だった。父親が毎晩9時に流れる有線放送のミュージックを聞きながら、
ねじ回しのようにして玄関を施錠していたことを覚えている。しかし、夏にな
ると夜は座敷の窓を開け放して網戸のままだったから、今思うと玄関の鍵は何
の防犯にもなっていなかったことになる。
上京して鍵を持ち歩く生活になり、結婚直前に初めて購入した古家では、泥
棒がピッキングで開けにくいディンプルキーに変えた。こうして、時代が移る
ごとに防犯の意識が高まっていくのだが、果たして今回の自邸ではどうしたも
のかと考えた。三階が主な居住空間なので、一階の玄関ドアの施錠さえ完全に
すれば多少は安心できる気もする。
しかし、玄関前の車庫に外車のジャガーが駐車してあるので、きっと賊は
「金持ちの家」と勘違いするに違いない。もともとこのジャグァー(通はこう
呼ぶらしい)は、私のような庶民が乗る車ではない。一億総中流意識のこの日
本に突然訪れたあの忌まわしいバブルの副産物なのであるが、時がその記憶を
けしつつあった。
妻は「もう15年も前に買ったもので廃車寸前です。」と貼り紙でもしたら。」
と真顔で言うが、外人の賊には読めないのではと不安に駆られた。結局ピッキ
ングが難しいとメーカーが胸を張るディンプルキーを上下2個取り付けること
にした。それでも一抹の不安は残る。
つい最近も近くの住宅で複数の外人らしき強盗が侵入し、家主が殺される事件
があった。その後捕まったという報道は聞いていない。きっと彼らにかかれば
2個の鍵など無いに等しいに違いない。夜も更けた丑三つの刻、ストッキング
を被った黒装束に『カネ、カネ』と枕元で囁かれたらどうしよう。
「オーノー、アイアムアーキテクト。ティピカルノーマネー」
そう叫んだところで果たして無傷ですむのだろうか。
「東京から東濃へ」のスローガンの下、首都移転を渇望している故郷の同級
生達には、この心境はきっと理解されないだろう。
「田園に首都が移転されたら夜もおちおち眠られないぞ。」と今度の同窓会で
進言してやろうと思う。役に立つのかどうかは分からないが、一家の主の務め
として、私の寝室の枕元には古いゴルフのクラブが2本立てかけてあることも
伝えねば。
引越しして一年ほどしてから、玄関の鍵について問題が起きた。二人の子供
達が外から帰ってくる度に、留守番役の婆ちゃんが開錠のため三階から玄関ま
で階段を往復することに疲れたのである。かと言って二人の子供達にそれぞれ
鍵を持たせるのも問題が残る。そこで、補助錠なるものを探した結果、押しボ
タン方式の第3の鍵を取り付ける事にした。これがあると暗証番号だけ覚えれ
ば、家族全員鍵を持たなくてすむ。使ってみると便利この上もなかった。
もちろん夜は内部から上下二つのディンプル錠を閉めておくので安心感は変わ
らない。それまで倉庫用としてしか認識がなかった補助錠だが、今後の私の住
宅設計では定番とすることになった。
これまでのホテルづくりの経験から、玄関の床に大理石を敷きたい衝動に駆
られた。ちょうど本業の設計の仕事で建材の御影石を探しに行く機会に恵まれ、
妻を誘って岐阜県の関ケ原に向かった。あいにく晩秋で、彼女の大好物のアユ
は食べられない。それでも今回は施主でもあるわけで、参加させてやることも
大切な行為と考えた次第である。
一旦仕事の打ち合わせを終えてから、石屋(と言っても日本一の規模を誇るの
だが)に無理を言って、いわゆる半端物や切れ端が捨ててある処分場で自邸に
使う素材を探してみた。もちろん予算が無いからだった。
しかし、「捨てたものではない。」とはこのこと。暗くなって闇に包まれる
頃、遂に好みの石種を探し当てた。自然の模様も実にいい。このあたりの感覚
はもう言葉では表現できないのだが。設計士を続けていて、この瞬間が最も興
奮し胸が高鳴りする。「3度の飯より設計が好き。」と豪語する仲間もいるが、
私の場合、この世から娘と鮨が無くなったら死んでしまいたいと思うのだから、
それほどでもないにしても、イメージに合った建築材料を探し当てた時は、つ
くづく天職だと実感している。
やがて加工を終えて現場に到着した大理石を見て、再び感動が蘇る。「半端
物なのでドリルやノミの跡が残ってしまいました。」親切な石屋の注意書き横
目に構わず床と壁に貼ってみた。多少のキズがあっても、いい素材はそれだけ
で存在感がある。最近やっとこの境地に至ることが出来た。若い頃、自然のも
のなのに、ほんのチョットの色違を許せず取り替えさせていた私、今は心から
お詫びしたい。「あの時の職人さん達、本当にゴメンナサイ。」
玄関ドアを押し開けると、正面に床から天井までの大きな窓を開けた。もち
ろん防犯ガラスで簡単には侵入できない。ここは真南の方角なので、直射日光
も燦燦と差し込んでくる。玄関までのアプローチが薄暗いため、昼間はいつも
ドアを開けた瞬間に目が眩む。これにはさすがに参った。
家は明るければ良いというものでもないのだ。思案の末、和風好みの妻の意見
で、上半分に御簾を垂らして加減する事になった。建築家の自邸である。玄関
だけでも品を醸し出さなくてはならない。
さらに、この窓の向こうには日除けも兼ねて山モミジを植えることにした。
確か植木屋の親父からは「紅葉が見事ですよ。」と言われ楽しみにしていたが、
毎年、中途半端な黄色で散っていく。後日植木屋の親父に諭された。北風が当
たらず温暖な環境では晩秋になっても赤くはならないそうな。「人間も同じ。」
と付け加えられたが、半分は納得できていない。
それでもこのモミジのお陰でなんとなく季節の移りが感じられ、どんな調度品
より気に入っている。住まいが三階なのと庭を愛でる趣味も無いので、他に庭
と呼べる庭は造らず、変形した敷地の残った部分は表道路からはまったく見え
ない場所だったこともあり、母親の為に家庭菜園にして土のままになっている。
建物全体の出入り口部分には、表道路に面して、大きめの樹木を植える事は、
せめてもの社会貢献と考えている。これまでに設計した建物の多くにも、勤め
て植木を心がけてきた。都心の住宅の場合、こうした玄関脇の一本の樹すら植
える空き地が得られない場合が多い。もしあったとしても、掘ってみると配管
などが邪魔して容易に植えられない場合がほとんど。そんな経験から、植木を
想定して、最初から配管の位置を指示する事にしているが、このあたりが経験
が為せる技と多少自負している。
移植は根が活動していない頃が良いとの庭師の助言で、実際には自邸が竣工
近くなった2月頃に植え込んでもらった。杉並区の住宅街の中にある生産緑地
(売却したら軽く10億円を超えるだろうから、そこの跡取りに生まれていたら
どうしただろうかと時々考えてしまう。)を歩き回り、枝振りの良いものを選
んだら、やっぱりモミジだった。
こちらは春の芽吹きの頃から既に葉が赤く、真夏に一度緑に変わり、また秋に
赤く染まる面白い品種で、白い外壁に映えていることから近所でも評判が良い。
一般的に植木の価格は以外に安く、これで商売になるのかと心配になったりも
するが、いざとなれば10億円の資産があるのだから私が心配することもないの
かも。
ともあれ、母親の意見で、足元には柊の木を添えた。魔よけの効果があるら
しい。そういえば、生まれ育った藁葺き屋根の家の玄関に、毎年節分の頃にイ
ワシを串刺しにした柊の枝が掛けてある風景があったのを思い出した。
(つづく)
