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「私は運と勘がいい」そう信じている

今から二十年前、あの未曾有のバブル期の直前、「今がチャンス!」と、自分の「勘」だけで約三十坪の敷地に建つ中古の一軒家を買った。東京都渋谷区笹塚という、新宿から電車で一駅、住宅地と商業地とが混在した利便性のいい土地柄であった。その古家は、建物の半分を米穀店が店舗併用住宅として使っていて、残りの半分は、耳鼻咽喉科の診療所に貸してある少々変わった物件だった。

当時の私は、西新宿にある高層ビルの最上階で、「ホテルアーサー札幌」という超高層ホテルのプロジェクトリーダーを任され、また、新商品として会員制の医療ビジネスの企画開発で度々海外に視察に出かける、超多忙なヤングエグゼクティブ(当時は自らそう錯覚していた)であった。

ある日、ふと、黒塗りのハイヤーの後部座席で、いつもの勘が働いた。
「そろそろ田舎の両親を安心させるために、家でも買って結婚しなくては」
建築設計の知識は多少あっても、不動産に関する知識は、はっきり言ってゼロ。しかも、超多忙なヤングエグゼクティブとしては、細かいことにはこだわっていられない。妙なプライドから、駅前不動産の仲介業者にすべてお任せすることにした。

数日後に担当者から電話が入る。
「あのう、会社の近くに面白い物件があるのですが」
「そう、それそれ。今の私には職住隣接が一番。なんと私は運がいいのだろうか」
その日の夜に現地の前を素通りし、境界の確認すら行わないで、即日、契約してしまった。今、冷静に考えると背筋がゾッとする。

間もなく私は、一軒の木造住宅の右側半分、つまり以前は米穀店だった場所を改装し、赤坂見附の高級マンションから引っ越してきた。荷物はベッドとマッサージチェアが一台。急に庶民に舞い戻った感覚だが、賃貸マンション暮しから、遂に自分の家を手に入れた満足感が心地よかった。

外壁こそ塗り直したものの、さすがに経年変化は消し去れない安普請の中古住宅。その近くの街道に黒塗りのハイヤーが止まり、毎朝決まった時間に真っ白く塗り替えられた玄関ドアから、ダークスーツの若者が颯爽と出かけていく。すぐにゴミ出し途中のご近所のおばさん達の評判となった。
「あの人何者? 」

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