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心が折れる日々

裁判が終わると同時に、バブル景気も終焉を迎えた。それからの数年間、仕事の依頼のFAXは激減。私と新妻にとっては、物心両面で惨めな時代が続くことになる。この間に子供が二人生まれた。当然私のオフィスも都落ちを繰り返すことになった。最初は、花の渋谷公園通り。その後が笹塚駅前の雑居ビル。遂には自宅の二階の一室が私の仕事場になった。床は擦り切れた畳敷き。二階のもう一部屋が寝室で、ベビーベットが置いてある。一階の八畳の居間が、食事処兼子供部屋兼応接間となった。

ある時、突然、銀行の支店長が訪ねてきた。
「し、しばらくお待ちを」
部屋中に散乱したオモチャを掻き分け、急遽、座れる場所を作る。妻と二人、さすがに冷や汗がでた。夢にまで見た新婚時代のオシャレな生活とは程遠く、多額の住宅ローンを抱えながら、まったく先が見えない心境をお察しいただけようか。

一方、このマイホームを購入するに際し、同居を夢見て老後のための貯金を解約した田舎の両親。孫の顔を見たさに度々上京するものの、狭くボロい家に居場所が無く、そのうち近所にアパートを借りることになった。
「隣の医者さえ約束を守って建て替えに協力してくれればなあ」
と私。
「まったく高い買い物をしたものね。馬鹿じゃないの」
と乙姫様。

縁あって、新たに近くに越してきた妻の両親も加わって、家族と親戚一同、作り笑いの日々が続く。自分の所有でありながら、自由にできないもどかしさの中で、「身から出た錆」と諦めもつく私と違い、あの約束を信じ、妥協して結婚した(悩んだ末にワンランク下げたらしい)妻は納得できようもない。隣の医者と顔を合わせる度にストレスが溜まり、いつしか「嘘つき」のレッテルは、あの医者ではなく、なんと、この私に貼られてしまっていた。

ある日、仕事の合間に不機嫌な妻の気晴らしにと、数年後に実現するであろう、新しい建物のパース(完成予想図)を描いてみた。鉛筆書きの簡単なスケッチなので、私にとっては朝メシ前だが、それを見る妻の目はうるんでいた。それからというもの、妻と私は、二人の子供が寝静まるのを待って、この古家を解体した後の、念願のマイホームの設計に没頭していった。やがて重苦しく悶々とした時間を忘れる、ほんの一時の幸福感に包まれた。遠くに一筋の光が見えるとはこのことか。既に裁判が始まって六年が経過していた。

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