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(余談)お手伝いさんが頑張るわけ

ちょうど自邸の工事が始まる頃、私の事務所に、妻の妹の英子が頻繁に出入りしていた。アルバイトと言うよりは、お手伝いさんを頼んだ感じ。不思議なことに、仕事の依頼は意外と重なるもの。当時、名古屋の大きなホテルの仕事の他に、数件のビルの設計を抱え、それに自邸の工事がいよいよ始まる。だからとて、先の見えない設計事務所で、新たに社員を募集する余裕もない。そこで、ほんの数年間の助っ人として白羽の矢が立った。

この妹、現在は私の古家から歩いてすぐの所に住んでいる。私の妻の佳子とは幼い頃から仲のよい姉妹で、会う度に
「私、いつの日か姉ちゃんの隣に住んで、洋服ダンスを共有するの」
が口癖だった。それが数年前、旦那の勤務先の仙台から、本当に私達の近所に引っ越してきたのだから驚いた。同じ町内に古家の売り物が出たのもタイミングが良かった。私の家がボロの古家として、ボロボロの古家を想像してほしい。が、それを予算内で購入する手口は実に見事だった。買い手として二番手だったにもかかわらず、売主の所に直談判に行って、泣き落としの術で見事に先約者を押し退け、物件を手中にしてしまうなんぞ、姉妹そろって九州女の底力を垣間見た気がした。まあ、売主も人の子。懇願された方に心が動くのも分からなくもない。

さてさて、縁もゆかりも無い場所に突然連れてこられた義妹のご主人。実は夜討ち朝駆けが日課のエリート政治記者だった。当然、私的な事情には関わっている余裕はなかった。久々に顔を見た時も、
「お兄さん、僕はただ寝る場所さえあればいいんです」
そう言い放った彼は、業界では「総理番」と呼ばれ、時の総理大臣(確か橋本首相だった)に四六時中ピッタリ寄り添って、その言動を大手新聞社や各報道機関に伝達する超ハードな要職にあった。毎日、夜討ち朝駆けで、時々ニュース番組で、総理の脇を歩く彼の姿を目撃するだけだった。そんな彼は、水泳と合気道で鍛えた堂々たる体格を誇る。

「総理のボディーガードを兼ねているんじゃないの」
と妻の英子に冗談を言ってみるのだが、そのうち町内の早起き婆さん達の間で
「この辺りに青年実業家が住んでいる」
とのうわさが広まった。早朝の裏通りに、毎日、黒塗りのハイヤーが止まっているのが目撃されるからだ。「午前さま」で帰宅した彼は、数時間の睡眠のあと、再びダークスーツに身を包み、運転手と軽く挨拶を交わすと、おもむろに総理官邸に向かうのだった。確かまだ彼は三十代。ちょっとカッコよ過ぎはしないか。

「待てよ。以前にも、この辺りに同じような青年がいたよね」
あの時も青年実業家に間違われていたはずだ。ただし、当時は、タクシーだったから、今回のハイヤーの方が、はるかに格が上である。ともかく、それにしては、傾きかけた古家がそぐわない。もちろん妻の英子は、この古家を私の設計で建て替えるつもりでいた。

「10年間我慢して、せっせと貯金するの」
人間、誰しも、目標があると仕事も励みになるもの。きっと自分が家を建てる時の参考になれば一石二鳥と考えたのだろう。私の事務所に参加してから、彼女は実によく働いてくれて助かった。当社の実質的な社長は私の妻であることは前述したとおりだが、その実の妹なのだから「あ、うん」の呼吸は見事だった。

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