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余りものには福がある

さて、このホテルが竣工を迎える頃、わが自邸の工事も始まっていた。

「そうだ、あの時の国内在庫が多少あるはずだ」

私は三年の間、毎週名古屋に新幹線で通った思い出も込めて、ミラノで選んだ材料を自邸のどこかに使用したいと願った。あのケチゼネコンの担当者に問い合わせると、
「余り物でよろしければどうぞ。ただし、有料ですよ」

まあ、世の中そんなもの。「タダ」でとは言わないものの、感謝の心が感じられなかったのが淋しい。こんな時も、旅費や滞在費の話を持ち出さないで、スマートに振る舞う覚悟がなければ、東京人の資格はない。岐阜の田舎から上京し苦節三十年。どうやら名古屋の商慣習だけには染まらずに済んだ。

白木のホワイトアッシュは収納家具の扉に、濃い赤茶のマッカーサーエボニーは壁面収納の引き戸と居間の壁の一部に、さらに天井まである大きな下足入れの扉にも使用した。どれもワンポイントの使い方だが、他の壁のほとんどがオレンジ色の左官仕上げなので、そのどれもがアクセントとなって、「ホテルらしい家」に大きく貢献することになった。まあ、残り物に福があったわけだ。

こうして、わが自邸では、木の量は決して多くはないが、使用している木肌はすべて吟味されているので、どれもが存在感を放っている。

「いい木を使っていますね。何の木ですか」
後日、自宅を訪れた人々から、賛辞をいただくことも少なくない。

ところで、同行したわが妻とその妹。予想通りツキ板工場なんぞまったく興味がない。幼な子、合わせて四人を両親に押し付けて、毎日、観光ざんまいの日々が続く。

「あれ、確か、研修じゃなかったの、君達」
「まあ、ここのところは、奥さん孝行と割り切って許してあげなさいよ。夫婦そろっての海外旅行は初めてなんでしょ」

それを言われると返す言葉がない。ダンディ上村の寛大なお言葉に黙って納得。無事にボランティア的な仕事を終えた我々一行は、多少の意地も手伝って、その後、イタリアでも有数のホテルをいくつか視察する計画を立てた。

ミラノではエ デ ミランとフォーシーズンズ。フィレンツェではサンミケーレ。中でも、ベニスのチプリアーニと地中海に面したポルトフィーノのスプレンディッドは「一日セレブ」の疑似体験ができて、心に残る旅となった。

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