ARTICLE

それでも浄水器が欲しい

自邸の設計を始めた数年前は、ちょうど家庭に浄水器が普及し始めた頃だった。当然のこと、妻の佳子は、どうしても取り入れると主張した。そんなもの必要ないといくら諭しても、一度言い出したら一歩も引かない困った性格。概して女性はこうしたチマチマしたものにこだわりが強い傾向にある。

「仮に浄水器を通過させたとしても、東京の水道水なんか絶対飲めないよ」
と論理的に説得するのだが、聞く耳を持ち合わせていない。こうなったらもう誰が何を言っても無駄だった。金額を聞いてさらに驚いたものの、一生ブツブツ言われても困りもの。今回は、私が音をあげた。
「どうぞお好きなように」

しばらくして、シーガルフォーという輸入品の浄水器がどこからか送られてきた。名前だけを聞くと最新式で効果がありそうだが、チョロチョロと少しずつ蛇口からコップに貯めないと効能が半減するという。多額のローンを抱えた私たちは、毎日の生活でとてもそんな悠長な時間は無い。引っ越して間もなく、浄水器は冷蔵庫の製氷器用の水に使用するだけになった。

「ほら言ったとおりじゃないか」
最近、私は何かで妻と意見が食い違うと、必ずこの浄水器を例に挙げ、事あるごとに自分の意見が正しいことを主張するネタにして、疎(うと)まれた。
「やぐらしかねー。超すかんと」

 
そんなある日、2リットル入りのペットボトルが大量に我が家に届いた。このところ、頻繁に感じる地震に備えて、私が「非常時の蓄え」と慣れない通信販売を利用して注文したものだった。が、何を間違ったか、ひとりで抱えきれないほど重い6本入りのダンボール箱がトラックで24箱も届いたのだった。五十歳を過ぎて遂に痴呆が始まったのかと我を疑った。冷静に調べると、何故か24本を24箱と間違って発注していたのだった。すかさず返品を申し出たが、なんと返品代の費用が、届いた半分の12箱分にも相当することが判明して青ざめた。
「アラッ、困ったわね、置き場所はどうするのかしら」

この日から立場が逆転した。車庫の片隅に山と積まれたミネラルウオーターを眺めながら、つくづく以前の古家でなくてよかったと思った。ペットボトルの水にも賞味期限がある。子供たちには強制的にこの水で氷を作るよう言い聞かせているので、ますます浄水器の水は使われなくなった。

関連記事一覧

単行本

建築家が自邸を建てた その歓喜と反省の物語

Amazon&大手書店で好評発売中!

Amazonで買う

最新記事