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新進気鋭のトーヨーキッチン

最終的にはトーヨーキッチンの商品となった。ここに決めた理由はふたつある。まず、流し台の奥行きが通常65センチのところ、75センチあって一時的にも鍋が置けたりする余裕が感じられること。目新しさも影響したが、これが「何でも大きいものが好き」が信条のケイコさんにウケた。天板のステンレスが顔も写る程の鏡面仕上げで、この光沢も気に入ったようだ。なんせ女性は光モノに弱い。もう一つの理由は、まったく私の個人的な動機からだ。

このメーカー、実は昔から知っている。私が設計士として社会に飛び込んだ頃、どこかの工務店で、この会社のカタログを見た記憶がある。
「何てダサいキッチンなんだ。埼玉あたりの会社じゃないの」(イッツ、ジョーク)

右も左も分からない見習い設計士にも、そのデザインのお粗末さは判別できた。何故覚えているのか。その会社の所在地が生まれ故郷に近い、岐阜県関市にあったからだ。カタログには、公団やアパート向けの普及品の写真が多かった。色は、白とクリーム色。

「やっぱり、東京では岐阜の田舎もんは通用しないのか」
自分とダブらせて自信がなくなった。ところが今や、この会社が大手メーカーにも迫る勢いだから世の中おもしろい。規模はまだ小さいが、カタログや商品のセンスでは群を抜いている。誰か筋の良いアートディレクターでも雇ったに違いないが、故郷のよしみと応援する気持ちが沸いてきた。

天板、つまりカウンタートップは最近、人工大理石が増えてきた。模造品も多いが、オリジナルである米国のデュポン社のコーリアンあたりは、高額だが性能はいいらしい。真っ白な天板なんか挑戦してみる価値もあると思ったが、オープンキッチンと洒落てみても、きっと現実的には流し台廻りが乱雑になる不安があり、目隠しを兼ねて、やや高い位置に無垢の木のカウンターを設置することにしたので、食堂側からは天板そのものは目に入らない。だとすれば、耐久性の高いステンレスの方が現実的と妻のケイコは割り切った。

しかし、逆に私は無垢の木のカウンターにはこだわった。我が家の中心的存在の食の空間。その中でも一番目立つ場所に位置する。食器を出したり下げたりする機能の他に、意匠としても重要である。ただの無垢の木は、そのまま板として使うとしばしば民芸調になってしまう。木の持つ素朴さは出ても、野暮ったさも同居してしまうのだ。「ホテルのような・・・」にはそぐわない。

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