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ヨシズとスダレが加わった

街道沿いのビルが建ち並ぶ一角に、瓦屋根の古民家風の佇まいは、これまでも沿道を走っていていつも目に留まっていた。時々立ち寄ってはいたものの、内閣総理大臣賞を受けた作品がケースに飾ってあるだけあって、「これは」と思う品物はとても手が出る価格ではなかった。いつかこうした名品を、躊躇なくサッと買えるような身分になりたいものだ、と思いながら店を後にするのだが、時々はケイスケに、竹とんぼや竹の筒で出来た本物の水鉄砲を買って帰ったこともある。今日はスダレを買う目的だから、堂々と背筋を伸ばして店に入ることにした。
「あのう、スダレ見せてください」
何と、出されたものは京都から入荷したという、実に精巧で透かしまで入っている上物だった。店の女性も、きっと人を見て判断したのだろう、悪い気はしなかったが、見るからに高そうで一歩引いてしまった。それにしても、透かし模様はどうも趣味ではない。
「いや、たいした家ではないので安物でいいんです」
「じゃあ、ヨシズでいいですか」
結局、子供部屋には大きなヨシズ、母の部屋には透かし模様無しの竹ヒゴのスダレと決まった。それにしてもこの中級品のスダレ、丁寧に節の部分が波模様に揃えてある。価格から考えたら、とても手間賃にもならない立派な仕事がしてある良品だった。

そもそも建具屋の障子も同様のことが言える。これでは、日本の職人技の多くは、発展どころか消えていく運命にあるのは当然と思われた。購入した品物を車内に斜めに押し込みながら、なんとなく職人への対価として支払った額を思うと、漠然とした罪悪感に浸ってしまったのは、同じ職人気質の私に限ったことだったのだろうか。

何も大工に頼む程のことでもない。窓の外の庇に釘を打ち付けて、早速買ってきたヨシズとスダレを掛けてみた。すると、ちょうど良い薄れた光が室内に入ってくるではないか。なんとも「塩梅がよい」とはこのことだ。スダレ自体、半分くらいは隙間があるので、数十メートル離れたマンションの窓からは、凝視すれば我が家の部屋の中の様子も、ある程度うかがうことが出来ようが、まあ許容範囲とみた。なんたって、透けて見えるのは裸で飛び回る悪ガキ二匹と、七十過ぎの婆さんの下着姿。これでは見るだけ損というものだ。

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