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メールマガジン 「建築家の自邸、満足と反省の物語 NO.60」
2005/4/30(不定期発行)
第8章 設備の大切さ
3.床暖房とトップライト(4)
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□ ご購読感謝
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みなさま、こんにちは。
ご購読いただきまして誠にありがとうございます。
このメールマガジンは、これから家を建てる方のために、建築家の私が自邸を
建てたときのエピソードを物語風にアレンジしたものです。
少しでもみなさまの参考になれば幸いです。
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■ 3.床暖房とトップライト(4)
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ところで、天窓の思わぬ効果はこんなところにもあった。竣工近くなって、
爺ちゃん(私の実父)が三階で家族みんなと暮らすことを嫌がった。なにせ学
校の先生さまを長く勤めた頑固者である。人に気を遣いながら暮らすなんても
っての他。たとえそれがどんなに待ち望んだ嫁であろうとだ。自分でも建設資
金の一部を負担していることを理由に、一階のアパートの一室で自由気ままの
生活をねだったのだ。
そこで、自他共に認める孝行息子の私は、仕方なく親父の希望を叶えることに
したのだが、とにかく「孫が命」の爺ちゃんのことだ。きっと新調した冷蔵庫
にアイスクリームを貯めこんで、それを餌にケイスケと貴子をせっせと誘惑す
るに違いない。とすれば、彼等がいつも玄関を出て爺ちゃんの所に出かけて行
くのは用心が悪い。
そんな理由から、急遽、玄関の内側で、賃貸用アパートに接している壁をぶ
ち抜いて、出入り口を取り付けることにした。つまり、玄関に接したアパート
の一室を爺ちゃん用の別宅としたのだった。ところがなんと、小躍りして喜ん
だのは、他ならぬ婆ちゃん(私の実母)の方だった。婆ちゃんの部屋は三階にあ
る。「ああ、やっとこれで開放される。好きなTVも見れる・・。」そうな。
息子としては複雑な心境であった。
さて、ある夕食の時の出来事。久々に爺ちゃんが三階まで上がっての夕食だ
った。メニューは焼肉である。大きなテーブルの真中に卓上コンロをデンと置
いて、最初にカルビを焼きだしたところ、肉に火が付いた。「アカン、火事に
なるで。」親父が真っ先に叫んだ。慌てて火は止めたものの、白い煙がモウモ
ウと立ち昇り、またたく間にその煙はLDKの空間はおろか、廊下まで充満し
てしまった。
「ケイスケ、窓をあけろ!」皆で、窓という窓の全てを開けて廻ったのだが、
これがなかなか出て行かない。もちろん爺ちゃんを招いての焼肉パーティは一
時中断。 しかし、ここで冷静な妻の佳子さん。「あなた、ついでに天窓も空
けておいてよ。」 私が「寒いのに何もそこまでしなくても」と呟きながら、
渋々電動スイッチのボタンを押すと果たしてどうだろう。見る見るうちに白い
煙が消えていくではないの。
「アラー!すごかー」これは妻の九州弁。「まあ、どえりゃあ勢いでのうなる
でいかんわ。」これは婆ちゃんの岐阜弁。合計4ヶ所の天窓を全開して、空の
暗闇に吸い込まれていく白煙を家族全員で見送った。 その後、もちろん焼肉
パーティは再開された。天窓を開け放したから、もう心配は無い。「ケイスケ
ちゃん、カルビをどんどんのせてね。」と、久々に爺ちゃんも上機嫌だった。
それからというもの、我が家では焼肉も網焼きも何も怖くなくなった。「料理
はグリルが一番旨い。ただし、お鮨は例外。」これが私の持論だが、この天窓
のおかげで、我が家の夕食がバージョンアップしたことは事実だ。以来、私は
「天窓とは光をただ導き入れるものではなく、普段の生活をもっと楽しくする
もの。」との位置づけをしている。たしかに天窓そのものの耐久性は定かでは
なく、一抹の不安は残るが、四方を隣家に囲まれた都会での住宅事情を考慮す
れば、天窓は有効な快適化装置ではないだろうか。
このように専門知識だけではなく、実際に生活を営んでみて初めて会得でき
る住宅の設計ノウハウも少なくはないのだから、私の設計で既に竣工した住宅
の家族の皆さんとの交流は、設計士として欠かせない研鑽の場に違いない。
ところで、我が家の煙幕騒動は確か新居に越して間もない、ちょっと汗ばむ
季節だった。この頃、予想通り爺ちゃんはアイスクリームを箱ごと買い込んで、
学校帰りの孫を玄関で待ち伏せしては「ケイスケちゃん、ちょっと寄ってかな
い?」と声を掛ける。それに加え、毎日、決まって午後5時きっかりに始まる
晩酌にも誘い、酒の肴を分け与えることで、母親の佳子さんのヒンシュクを買
っていた。「あなた、いい加減にしてもらって。この子たちが最近夕食を食べ
ないと思ったら、お爺ちゃんとこのつまみ喰いのせいよ。」
板ばさみの私が「我が家のルール作りと和解の場を」と企画したこの日の焼肉
パーティーは、白煙騒動でその目的こそ達することはなかったが、思えばこの
親父が自由気ままな隠居生活を謳歌して逝った、ちょうど一年前の出来事だっ
た。
(つづく)
