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いよいよ引っ越しが始まった

数々の紆余曲折を重ねながらも、我が家の竣工がほぼ見え始めた三月の終わりの頃、長男のケイスケの小学校入学を睨んで、少し早めに引っ越すことになった。新居から初登校させたい母親の意志が強く働いたのだった。そうと決まって急に慌ただしくなったが、幸い移動の距離が歩いて五分程だったので、取りたててトラブルもなく引越しはあっけなく終わった。

その夜のこと、
「まるでホテルに居るみたい」
家族の皆が驚いた。明るい所とそうでない所のコントラストが効いて、素人にも空間の奥行きと新鮮さを感じたようだ。
ホテルに近づくように、照明器具の配置を工夫した成果が表れた。廊下の天井には照明が一切ない代わりに、壁付のブラケットから天井に向かってアッパーに照らされているため、反射光のみの淡い明りに包まれ、天井も高く見える。

居間の間接照明も効いている。こちらも天井を照らしながら、その反射光が周囲に優しく広がる。壁は、もともとベージュ色の左官壁シッタ。これがオレンジ色に染まっているが、照らした天井の白が一層強調されて、心配するほど暑苦しくはない。むしろモダンな空間となっている。家中見渡してみても、メリハリはあるが、特に暗いところもないようだ。
「子供部屋はムードより明るさでしょう」
とばかりに天井から40Wの蛍光灯を二本も吊り下げたが、冷たい蛍光灯の光を壁付けのブラケットから洩れる白熱球の暖かい光が和らげてホットする。耳元で妻が囁いた。
「大成功よ、アナタ」

ここで笑えない話がひとつある。我が家の「売り」でもある木製建具は、ご存知のように全部手作りである。大工が作った枠の寸法に合わせて一本一本職人が製作し、現場でわずかな狂いをカンナで削りながら、ぴったりと吸い付くように建てつける。ここまではよかった。しかし、更にそれを丁番からはずして工場へ持ち帰るから困ったものだ。なんと削ったところに再塗装をかけるのだそうだ。
今のご時勢、これでは本物志向の職人が儲かるわけが無い。加藤社長に連絡を取った。いつものように、事務所の入り口付近に鎮座し、すぐに電話に出てくれる。
「取り付けてから、また外すなんて、こんな不効率な仕事がまだ続いているのですか」
「あれっ、先生。どの現場でもそうしていますよ。今に始まったことではないですけど」
いやぁ、知らなかった。そこまですれば完璧。信頼されるはずだ。

私の自邸の場合も例外ではない。全て取りついた建具を見て、なんとか引っ越しに間に合ったと喜んだのもつかの間、翌日には建具は1本も無くなっていた。案の定、建具は引越しには間に合わなかったが、承知で引っ越した訳だから我慢するしかなかった。

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