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拝啓 亀山 久史 様

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この度は、貴重な天然の鮎をお送りいただき、誠にありがとうございました。どれも精悍な顔つきで身も締まり、大変美味でした。私の家族は、ことのほかアユ好きで、毎年、天然のアユを探して奔走しています。でもこれで、しばらく安泰と思ってよろしいのでしょうか。来年もクール宅急便が届くのを楽しみにしています。

私は、多治見北高から東京の大学に進み、現在は建築の設計の仕事をしています。縁あって、お近くのセブン工業の関連会社(株NCN)ともお付き合いがあります。親父が亡くなって十年余、可児市の実家は売却しましたが、毎年盆の頃に一度、墓参りのために帰郷し、鮎と鰻丼を味わって帰ります。

今年は、50年ぶりに下呂温泉を訪ね、帰り道に東白川の鮎集荷所に立寄ったのですが、あいにく川が増水して誰もいません。「いい加減にしてよね、ったく!」 無類のアユ好きである妻の不機嫌さを解消するため、昔の夏の日の記憶を辿って七宗町神渕に車を進めました。途中、菅笠姿の釣師達に、鮎料理店が無いか尋ねて歩きましたが徒労に終わり、最後の最後に道路沿いの八百屋さんに声をかけたのでした。

話は、二十年前に遡ります。まだ、新婚だった妻の佳子が、可児市に住む親父にねだりました。「お義父さん、岐阜の人と結婚したからには、大好物のアユをお腹いっぱい食べたいです。」それを聞いた親父は、あちこちの知り合いに連絡して、天然アユを探しました。「何としても、佳子さんに、アユを送らねば」

間もなく届いたクール宅急便の箱を開けると、部屋中にスイカに似た独特の香りが広がりました。きっと贈答用の上等のアユだったのでしょう、一匹ずつ丁寧にセロハンで包まれ、見事なまでに寸法も整っていました。「天然の鮎のため、釣り針が残っていることがあります。ご注意ください」 箱の中のメモ書きを見て、妻は狂喜しました。「嬉しいかー(生まれ故郷の長崎弁)、これで十歳以上も離れた旦那様と結婚した甲斐があったたい」

さて翌年の夏、心待ちにしていた妻に親父から届いたのは、不揃いの、しかも香りの少ない鮎達でした。「佳子さん、あかんで。天然ものはなかなか手に入らへん。我慢してチョ」 その頃すっかり岐阜弁に馴染んだ妻が小声で云いました。「まぁあかん、妥協して結婚した甲斐があらへん」 翌年も、その翌年も、親父は懸命にアユを探し廻ったそうですが、岐阜の故郷からアユが届いたのは、後にも先にもこの二回きりとなりました。 

私が中学生の頃、つまり昭和四十年頃までは、可児川にもアユの姿は珍しくなく、夏休みともなると、毎日のように捕獲に出かけ、母は持ち帰ったアユの処理に困りました。貴殿のお近くの神渕川にも幾度か出かけました。今でも水中メガネの前で、アユが乱舞する姿が遠い記憶に蘇ってきます。しかし、間もなく可児川は急速な人口の増加と共に汚れ始め、アユの姿は消えたそうです。

それにしても、神渕川の神様は、粋な計らいをするものです。「天然の鮎、どこかで手に入りませんかねぇ」と、八百屋のオジサンに聞くと、「ほんなら、隣で聞いたげるわ」何とこの隣が、アユ釣りをご趣味にされている貴殿だったのです。そして、偶然にも貴殿と私が遠縁にあたる間柄だったとは、さらに驚きです。

今年の夏も、間もなく終わりを告げようとしていますが、私の家族は、この度の貴殿からの贈り物に心より感謝しつつ、また来年、神渕川の畔でお会いできることを楽しみにしています。それまで、どうかお身体を大切に、お元気でお過ごしください。
とりあえず、お礼方々ご挨拶まで。

敬具

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