ARTICLE

精霊流し

s_DSC00354

長崎県出身の妻が、どうしても家族に精霊流しを見せたいと言い出した。ついでに、平戸の沖の的山大島まで行ってみたいという。自分のルーツを辿る旅でもあるらしい。お盆の最中だったが、運良く航空券と宿が取れた。

8月15日の夕刻を過ぎた頃から、市内のあちこちで爆竹の音が響き始め、通りには火薬の匂いが漂ってきた。暗くなってからが本番。急いで長崎チャンポンを食すことにした。

民放のテレビで、歌手のさだまさしが、従兄弟の供養で列に参加すると聞いた。公言はばからぬ大ファンの妻は浮き足立った。「夜はまだ長いだろう」と腰の重い私たちを尻目に、小走りで供養船が通る大通りの沿道に駆け寄る。既に人、人、人の波。

行進の最前列には、紋付袴の喪主が立ち、船先には位牌や遺影が掲げられている。ハッピ姿の若者たちに押されて、盆提灯や供花で飾られた船がゆっくり進む。船の大小はあれ、思い出の品や趣味を反映した飾り付けで、生前の故人が忍ばれる。

供養のための精霊船は、市内だけでも1500隻を超えるという。行進の列も一つではない。「絶対会えないよ」と慰めた矢先、さださんが目の前にいた。

魔除けの意味を持つらしい爆竹の破裂音が想像を超えている。話はできないし、火の粉が時々顔を直撃するから油断ができない。道路には、おびただしい数の爆竹が散らばっていく。警察官も総動員だが、しかし、もしこれがなくて、静々と神妙に行進が続いたら、多分こんなに人が出て盛り上がることはないだろう。

翌朝、ホテルを出発し、レンタカーで県庁前の大通りを通ると、道路にはチリひとつ落ちていない。あの大量の爆竹の残骸は、いったいどこへ。なんと深夜の内に一掃されていた。「すごかー長崎」こうでなくっちゃ。
まさし、いや、まさに精霊流しは真夏の夜の夢だった。

関連記事一覧

単行本

建築家が自邸を建てた その歓喜と反省の物語

Amazon&大手書店で好評発売中!

Amazonで買う

最新記事